
わずか二畳ほどの広さしかない、この隠遁所で
真下に見えるは、麓の村の教会。
教会は聖なる場所でありながら、世俗の中にあり、
神父は妻帯を認められている。
ギリシャで驚いたことの1つが、ギリシャ正教では神父に妻帯、つまり結婚が認められていることだった。…とは前知識で知っていたが、それでも、スーパーマーケットに「家族連れ」でやって来ていた神父を目の当たりにすると、カルチャーショックを覚えた。そんな、カトリック等では有り得ないことが認められていながら、あえてその権利を放棄し、ただひたすら祈り続ける日々とは、どんなものだろう。
