
ブロードウェイの、町外れの丘の上、
孤高の塔はコッツウォルズの繁栄を見守っていた。
ブロードウェイ・タワーとの出会いは、モートン・イン・マーシュから自転車でヒドコート・マナーを見学して、更にスノーズヒル・マナーに向かっていた時のこと。貸し自転車屋のおじさんが地図に記してくれたルートがとてつもなく大回りに見えた私は、思い切りショートカット。しかしショートカットしたルートは、とんでもない坂道の連続だったしかし、このルートを通っていなかったら、このブロードウェイ・タワーと出会うことはなかっただろう。
なお、この時はもうほとんど時間が残っていなかったため、ブロードウェイ・タワーの見学は断念。この写真は後に、ほぼリベンジのためだけにコッツウォルズを訪れた際のもの。

かつて羊毛取引の町として栄えた、チッピング・カムデンの目抜き通りは、
今も当時の面影を残している。
なだらかな丘がどこまでも続くコッツウォルズは、主な交通手段が馬車であった時代、交通の難所として知られていた。そしてそれは周辺地域で鉄道が発達し始めてからも変わらず、コッツウォルズは時代の波から取り残されてしまった。しかしそのおかげで、コッツウォルズ特有の“蜂蜜色”のライムストーンで建てられた家並みが、今も見られることになった。
The Cotswolds ザ・コッツウォルズ

昔はコッツウォルズ中の羊たちで、
今は観光客で、チッピング・カムデンは賑わっている。
昔、チッピング・カムデンの町は、羊毛の取引で栄えた。コッツウォルズ中の羊たちがここに集められ、売られていったのである。町の中心にあるこのマーケットホールは、コッツウォルズの特産品である羊毛や乳製品を守り、取引を促進させるため、1627年にBaptist Hicks卿によって建てられた。現在は、ナショナルトラストが管理している。

もらった地図の通りに自転車を走らせていたつもりが、
メルヘンの世界に迷い込んでしまった。

Kyrie eleison.
写真の修道院ではないが、聖ステファノス修道院の売店で、修道女らと話をする機会があった。彼女らと意気投合した私は、観光客には公開されていない、古い方の礼拝堂で行われる、夜のミサに誘われた。その帰り、彼女らはプレゼントだと言って、いくらかの品を持たせてくれた。そのうちの1つ、初老の修道女がくれたカードの裏には、ギリシャ語と英語で「救い主であるキリストは、罪人である私たちに哀れみをかけてくださいます。」とあった。キリスト教徒ではない私だが、とても印象に残った言葉である。
メテオラ 1988年、世界遺産(複合遺産)

それはただ、静かに見守っていた。
ギリシャ中部、テッサリア平原が広がる中、メテオラの奇岩は突如として目の前に現れる。高さ20〜400mにもなる岩が、まるで地中から生えたかのように直立するこの地に、ギリシャ正教の修道士たちは修道の場を見出した。ギリシャ正教と言えば、ハルキディキ半島にあるアトス山が本拠地だが、そこは女人禁制。よって修道女にとっては、このメテオラこそが最大の聖地である。
メテオラ 1988年、世界遺産(複合遺産)
アギオ・ステファノス修道院(尼僧院)

ボール遊びをする子供たちがいて、犬の散歩をする大人がいる。
それを静かに見守るのは、英国の誇りと伝統――。
旧グリニッジ天文台のある丘から見下ろせば、イギリス最初のパラディオ式建築であるクイーンズハウスが見える。その後ろに控える左右対称になった建物は、王立海軍大学。
河港都市グリニッジ 1997年、世界遺産(文化遺産)

世界中の時刻の母、
ロンドンの東の外れ、グリニッジにて、
今日も世界の時を刻む。
ロンドンの外れにあるグリニッジの建築物群と、それらが建ち並ぶ公園は、17・18世紀イギリスの芸術と科学を象徴するものである。この「グリニッジ標準時間」の地点として有名なグリニッジは、1675年に国王チャールズ2世の命により創設。その後イギリスが主導した産業革命が世界中で進み、世界共通の時刻制度が必要になると、1884年にアメリカのワシントンで開催された国際子午線会議にて、グリニッジ天文台を通る子午線を経度の基本である本初子午線(経度0度の子午線)とすることが決まった。現在、天文台としての役割は終えているものの、博物館として一般に公開されており、天文台内の床に引かれた「経度0度の子午線」をまたいで記念撮影することも出来る。
河港都市グリニッジ 1997年、世界遺産(文化遺産)